昭和三十年 四国山脈の山間にある小さな町、高知県高岡郡佐川町で生まれる。
父親の転勤に伴い、奈良県榛原第一小学校、兵庫県塚口小学校、兵庫県宝塚小学校、高知県昭和小学校、高知県第六小学校と小学校を5回転校する。
第六小学校おいて、校長室の掃除をしている際に机の上にあった『論語』の本を眺めているのを校長が気づき、その本を譲り受ける。
これをきっかけに中国の古典に興味を持つようになり、市立図書館で古典を読み耽ることとなる。
私立高知学芸中学校を受験するも不合格となり、高知市立城西中学校に入学、剣道を始める。
中学二年で市立高知学芸中学校に編入し、そのまま高知学芸高等学校へすすむ。
高知学芸高校では剣道部の初代主将となり、高校二年より全日本剣道選手権を制した川添哲夫の指導を受ける。
一年浪人して早稲田大学政治経済学部政治学科にすすむ。
浪人中に、高知県剣道選手権初二段の部で、高校三年時に引き続き二連覇する。
早稲田においても体育会剣道部に入部する。
大学三年時に、高知県地方公務員上級職試験に合格し、卒業を待たずに公務員となる。
公務員生活を四年おくった後、上京して株式会社ジェックに入社し、社員教育・経営コンサルタント業界に足を踏み入れる。
平成二年、株式会社クエストを設立し、以来今日まで代表を務め、コンサルティング・社員教育・講演などを行った企業は百社、受講者は一万人を超える。
またこの間、東日カーライフグループおよび東京日産自動車販売株式会社の監査役を六年間務める。
還暦を前に体調を崩したのを契機として、平成二十九年より乗馬を始め、健康を取り戻す。
欧米流のマネジメント手法に限界を感じ、改めて東洋の智慧をマネジメントやリーダーシップに活かすべく研究を重ねている。
また、日本人の教養の低下にも危機感を抱いており、『論語』の素読や、その他中国の古典に関する教育に力を注ぎつつある。