『韓非子』馬鹿をバカにする奴は馬鹿である

人に対して礼儀を尽くさないとする。

もし、その人が立派な人であるとするならば、それは大いに失礼なことである。

もし、その人がならず者のような人間であるとするならば、恨みに思って仕返しをされるかもしれない。

相手がどういう人であれ、礼を尽くしておいて害はない。

にもかかわらず、そうしないということは、物の道理が分かっていない愚者としか、いいようがない。

多くの場合、私たちは自分からみて劣っている相手に対して、敬意を払わない。

何故なら、そんな人間にはどう思われようが、何をされようが平気だと、考えているからである。

もしくは、あんな奴の力を借りるまでもないと、思っている。

確かに、そうかもしれない。能力が無い人間に手助けしてもらうと、返ってうまくいかないことは多い。

しかし、このドイツの格言はどうだろうか?

「あなたにとって友としてはなんの役にも立たぬ者も、敵にまわせばあなたに害をなす者となるやもしれぬ」

人を尊重したからといって、相手がこちらを尊重してくれるとは限らない。

しかし、人を見下したとき、その相手は、獣となって牙を向けてくるかもしれない。

こう考えると、人との付き合いは、薄氷を踏むが如く慎重にしなければと、改めて反省する。

出典(明治書院)新釈漢文大系11『韓非子 上』竹内照夫著 318頁

説林下第二十三

衞將軍文子見曾子。曾子不起、而延於坐席、正身於奥。文子謂其御曰、曾子愚人也哉、以我爲君子也、君子安可毋敬也、以我爲暴人也、暴人安可侮也、曾子不僇幸也。 衞將軍文子見、曾子を見る。曾子起(た)たずして坐席に延(ひ)き、身を奥に正す。文子、其の御に謂つて曰く、曾子は愚人なるかな、我を以て君子と爲さば、君子は安(いづく)んぞ敬すること毋(な)かる可(べ)けむ、我を以て暴人と爲さば、暴人は安(いづく)んぞ侮(あなど)る可(べ)けむや、曾子、僇(りく)せられずば幸なりと。