『戦国策』全員一致の恐ろしさ 『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン)によると、ユダヤでは全員が一致して賛成したことは、無効になるという。 出来うるだけ、皆が同じであろうとすることを求める日本人とは、随分と違うものである。 中国戦国時代の遊説家として有名な張儀と、荘子との交流で有名な恵施の逸話に、このようなものがある。» 続きを読む
『戦国策』一方聞いて沙汰するな ある経営者と話をした時、彼は、部下の一人を盛んに褒めちぎっていた。理由を聞くと、「泣き言を言わない。言い訳をしない。人の悪口を言わない」ということであった。その部下と話をすると、経営者自身が自信と勇気を貰えるのだという。 中国の戦国時代、江尹(こういん)という魏の出身で、後に楚に仕えた人物がいた。 ある日、楚王に対して、彼は問いかけた。「もし、他人の良い所を王様に申し上げることを好む者がいたなら、王様はどうされますか?」» 続きを読む
『戦国策』組織における地の鹽 管理職にとって部下育成は重要な仕事だと、よく言われている。 確かに、そうだと思う。 では、部下育成という難しい営みが高く評価させているかといえば、必ずしも、そうではない。» 続きを読む
『戦国策』悪いことしたときは ごめんなさいっていうんだゾ 「清濁併せ呑む」といった言葉がある。 世の中は、綺麗ごとだけではすまされないということであろう。 社会には善人ばかりがいる訳ではないから、当然といえば当然であろう。» 続きを読む
『戦国策』「仕方がない」ということ 物事には必ずそうなるということがあり、また、当然のことで仕方がないということがある。 かならずそうなるということは、死である。かならず、そうなる。 当然のことで仕方がないとは、どういうことか。» 続きを読む
『戦国策』君は君足り、臣は臣足り 戦国時代、斉の国に鄒忌(すうき)という大臣がいた。 背が高くてスタイルが良く、「形貌昳麗(けいぼういつれい)」であったと述べられている。昳麗とは、極めて美しいということである。 ところが、当時、斉にもう一人、美男子がいた。城北の徐公という。» 続きを読む
『戦国策』親不孝な若者の話 自分自身の、若くて生意気で、屁理屈ばかりこねていた頃を思い出して、赤面する話である。 三年間、勉強して帰ってきた若者が、母親のことを名前で呼ぶようになった。 母親がその無礼に驚いて、理由を尋ねると、» 続きを読む
『戦国策』中国版ゴルディオスの結び目 斉の襄王の皇后で、賢后と称えられ君王后の元に、秦の昭王が、玉連環という知恵の輪を届けた。 斉に賢人が多いと聞いていますが、この知恵の輪を解くことが果たしてできるでしょうか、という一種のいじめであり威嚇である。 君王后は、その知恵の輪を群臣に示した。» 続きを読む
『戦国策』敵を攻めるチャンス 人と人の関係であれば・・・、 相手が親切にしてくれば、こちらも親切を返すし、相手が強硬であれば、こちらも、負けるものかと頑張るのが常である。 しかし、国と国との関係は、そうでもないらしい。» 続きを読む
『戦国策』善と正義とは全く違ったものである 跖(せき)の狗(いぬ)、堯(ぎょう)に吠ゆるは、跖を貴んで堯を賤(いや)しむるに非(あら)ざるなり。 跖とは、盗跖(とうせき)と言い、古代中国の大悪党である。堯とは、聖人であり、古代中国における名君の代表である。 大悪党である盗跖の飼い犬が聖人である堯に吠えるのは、盗跖が善で堯が悪だからではない。堯が、自分の飼い主である跖の敵だから吠えるのである。» 続きを読む