『荀子』闘うことの是非 過去を振り返って、最も反省することは、争うこと、喧嘩が好きだったということである。 好きだったという以上に、間違った相手とは闘うべきであり、それが正義と考えていた。 闘うこと自体が誤りだと気づいたのは、ほんのここ数年のことである。情けない人間だと、思う。» 続きを読む
『荀子』君子は不能なるも、また好し 学問をするということは、本来は、徳育が中心であった。 それが、明治以降、知育に、その座を奪われた。 第二次大戦後は、徳育は棄て去られ、知育と体育だけになった。» 続きを読む
『荀子』毀誉褒貶は他人の主張 人が寒いのは嫌だと騒いでも、天が冬をなくすことはない。 広いのが嫌だと言っても、地が、その遼遠をなくすこともない。 天も地も、一定の正しい法則に則っているのである。» 続きを読む
『荀子』仁者は必ず人を敬する 記事の趣旨は、「馬鹿をバカにする奴は馬鹿である(韓非子)」と同じである。 韓非子は法家、荀子は儒家ということになっているが、韓非子の師は荀子とされている。 思想的に似ている部分は、多い。» 続きを読む
『荀子』性善と性悪 性善説といえば孟子で、性悪説といえば荀子である。 しかし、荀子が謂っていることは、持って生まれてきた物よりも、その後の環境や修練が大事だということである。 荀子は言う。» 続きを読む