馬を叱るということ(63鞍目)

騎乗中にティグレが指示に従わないことがある。

また、ハミを付けるのを嫌がることがある。

少し前まで、こういった状況に陥ると、きちんと叱って言うことを聞かせなければならないということを、分かってはいたが、出来なかった。

こちらの指示が悪いから、下手だから、叱るのは可哀そうではないかという気持ちもあったが、今思うに、叱る自信がなかったからだと思う。

叱る自信がないということは、自分自身が上位者であるという自信が無いということである。

馬は500キロもある巨体である。本気で反抗されたら人間は勝つことはできない。変に叱って反抗されたら怖い、これが初心者の正直な気持ちだと思う。

頭では上位者でなければならないと考えても、心で恐れていれば、真剣に叱ることなど、とても出来るものではない。

であるから、ティグレが指示に従わなかったりハミ付けるのを嫌がったりした時、今まで何を思っていたかといえば、「困ったな・・・」ということである。

「困ったな・・・」と思っているだけでは何の役にも立たない。

叱って、困らないようにするしかない。

しかし、である。

「叱る」といっても、声を荒げてもティグレには分からないと思うし、手で少々叩いても、驚くかもしれないが大して痛くもないだろう。

拍車で思いっきり蹴るという手もあるが、これは虐待・イジメであろう。

こう考えると、一口に「叱る」といっても、なかなか難しい。

そもそも、こちらの指示が間違っていたり曖昧だったりして馬が思い通りに動かない場合に、馬を叱っても馬は混乱するだけだと思う。

考えてみれば、問題は指示に従わないということだから、解決策は指示に従わせるということである(僕の技術的な問題はもちろんあるが、それはその場では解決できない)。

叱ること自体は目的ではない。

つまり、どうすれば良いかといえば、諦めずに指示を貫いて、指示通りに馬を動かすことが、つまりは「叱る」ということなのだろう。

そこで、最近はこう考えるようにしている。

例えば、ティグレがハミを付けるのを嫌がった時、

「悪いねぇ・・・。段取りが悪くてスムーズに付けてあげられなくって。ただ、どんなにお前が嫌がっても、僕はハミを付けるよ。お前がどんなに抵抗しても許してはあげないよ。だから諦めて素直にハミを付けよう」

もし、僕のハミの付け方に問題がなくて、ただ単にティグレが反抗しているのであれば、もちろん罰が必要になるだろう。

ただ、その罰は叩かれることでも蹴られることでもない。ハミを付けられるということになるのだと思う。

こういう風に考えるようになってから、あまり「困ったな・・・」という風には思わなくなってきたから面白いものである。

(緑がどんどんと濃くなり馬も幸せそうです)

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