『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン)によると、ユダヤでは全員が一致して賛成したことは、無効になるという。
出来うるだけ、皆が同じであろうとすることを求める日本人とは、随分と違うものである。
中国戦国時代の遊説家として有名な張儀と、荘子との交流で有名な恵施の逸話に、このようなものがある。
当時、難所である函谷関の西には、大国である秦があった。
そして、函谷関の東、関の東であるから関東には、趙、魏、韓、燕、斉、楚の六国がひしめきあっていた。
ちなみに、日本の関東は、時代によってその地域が異なっているが、近世以降は、箱根の関以東を指しており、その発想から、
『箱根の山は天下の険 函谷関も ものならず・・・・』
という箱根八里の歌詞ができている。
先ほどの六国の課題は、一番の大国である秦と同盟を結ぶのか、それとも、六国だけで団結して秦に対抗するのか、一体どちらが自国にとって有利なのかということであった。
そこで、張儀の登場である。
張儀は、弱い国同士が集まっても意味はなく、最も強い秦と同盟することが良策であると、考えていた。
張儀は、魏の恵王の前で、秦と結ぶことの有利さを力説した。
それを聞いていた恵王の家臣のほとんどは、賛成した。
しかし、恵施は、秦とは結ぶべきではないという立場であった。
そこで、恵施は述べた。
人というものは、どんなに小さな事でも、賛成と反対が分かれるものです。
にもかかわらず、今回のような国の重大事に対して反対が出ないということは、どういうことでしょう・・・・。
今回の秦と同盟を結ぶということは、それほどまでに、誰が考えても明白な正しいことなのでしょうか。
群臣の考えは、それほどまでに、同一なものなのでしょう。
決して、そうは思えません。
これは、誰かが群臣に圧力をかけているのです。
彼らは、国のため、王のために図っているのではありません。
王は、すでに家臣の半ばを失っている状態にあるのです。
確かに、原因は様々であろうが、何かの決定に際して全員が同意見ということは、疑ってみる価値があるだろう。
特に、重大な決定事項に関しての全員一致は、まず信用できないのではないだろうか。
パーキンソンの法則にもあるように、人は些細な、自分でも理解できる問題には真剣に取り組み、意見も述べる。
しかし、重要で複雑な問題に直面すると理解不能に陥り、深く考えもせずに賛成してしまう傾向があるからである。