『孟子』無名の指

無名の指とは、くすり指のことである。

孟子は言う。

くすり指が曲がって伸びないとする。決して痛い訳ではなく、不便な訳でもないとする。

しかし、これをきちんと治療して貰えるとしたならば、どんなに遠くにでも行くだろう。

それは、指が人並みでないことを恥じ憎むからである。

ところが、指よりもずっと大事な筈の心が人並みでない場合、それを恥じ憎むということを、多くの人はしない。

これを類を知らないと謂うのである、と。

考えてみれば、孟子の言うように、世の中には身体が不自由な人よりも、心が不自由な人が多い。

また、整形やエステで身体的な美を追求する人は多いが、心の美を追求する人は少ない。

物質的な豊かさを求める人は多いが、心の豊かさを求める人は少ない。

僕たちは、物事の軽重を見失っているのだろう。

出典 (明治書院)新釈漢文大系4 『孟子』 400頁

告子章句上

孟子曰、今有無名之指、屈而不信。非疾痛害事也。如有能信之者、則不遠秦楚之路。爲指之不若人也。指不若人、則知惡之。心不若人、則不知惡。此之謂不知類也。

孟子曰く、今、無名の指、屈して信(の)びざる有り。疾痛して事に害あるに非ざるなり。

如(も)し能く之を信はず者有らば、則ち秦楚の路も遠しとせず。指の人に若(し)かざるが爲なり。 指の人に若かざるは、則り之を惡(にく)むことを知る。心の人に若かざるは、則ち惡むことを知らず。此れ之を類を知らずと謂ふなり、と。