斉の襄王の皇后で、賢后と称えられ君王后の元に、秦の昭王が、玉連環という知恵の輪を届けた。
斉に賢人が多いと聞いていますが、この知恵の輪を解くことが果たしてできるでしょうか、という一種のいじめであり威嚇である。
君王后は、その知恵の輪を群臣に示した。
しかし、誰も解くことが出来ない。
すると、君王后は、かたわらにあった椎を持ち出し、知恵の輪を打ち砕いた。
そして、秦の使者に対して、解かさせて頂きましたと、告げた。
アレキサンダー大王の「ゴルディオスの結び目」と、ほとんど似た話である。
アレキサンダーと君王后の時代は、50年くらいしか離れていない。
どちらかがどちらかに、伝わったのであろう。
古代から、世界は思いの外、狭いということである。
出典 (明治書院)新釈漢文大系47『戦国策 上』林秀一著 539頁
齊巻第四
秦昭王嘗遣使者、遣君王后玉連環曰、齊多智、而解此環不。君王后以示羣臣。羣臣不知解。君王后引椎椎破之、謝秦使曰、謹以解矣。
秦の昭王嘗て使者を遣り、君王后(くんおうこう)に玉連環を遣(おく)つて曰く、齊に智多けれども、而(よ)く此の環を解くや不(いな)や、と。
君王后、以て羣臣(ぐんしん)に示す。羣臣、解くを知らず。 君王后、椎(つち)を引きて之を椎破(つゐは)し、秦の使に謝して曰く、謹んで以て解けり、と。