何時ごろからだろうか、国益という言葉を、よく耳にするようになった。
10年前には、あまり聞かなかったと思う。
格調高く良い言葉のイメージで使われているようだが、僕は好きにはなれない。
大東亜共栄圏とか絶対国防圏とかいう言葉と、ダブって聞こえてしまう。
そもそも、国益とは何なのか。
国民の利益のことであれば、国民の利益と言えばよいのではないだろうか。
また、それぞれの国が、それぞれの利益だけを考えて行動したら、世界はどうなるのだろう。
敗戦前の日本が、国益を守ろうとして戦争に突入したことを、忘れてはならないと思う。
楚の王が、宝弓を落としたとき、
「探す必要はない。楚の王が落とし、楚の民が拾うのだから、楚の国益を損なう訳ではない」と言った。
周囲の家臣は、明君と称えた。
しかし、この話を聞いた孔子は、
「人が落とし、人が拾う。それで良いのではないか、国という枠組みから抜け出せないところが惜しい」
と述べたという。
流石というべきであろう。
出典 (明治書院)新釈漢文大系『孔子家語』宇野精一著129頁
好生 第十
楚恭王出遊亡烏嘷之弓。左右請求之。王曰、止。楚王失弓、楚人得之。又何求之。孔子聞之曰、惜乎、其不大也。不曰人遺弓、人得之而已。何必楚也。
楚の恭王、出遊して烏嘷(をかう)の弓を亡(うしな)う。左右、之を求めんことを請ふ。王曰く、止めよ。楚王、弓を失ひて、楚人、之を得ん。又、何ぞ之を求めん、と。 孔子之を聞きて曰く、惜しいかな、其の大ならざることや。人、弓を遺(おと)して、人、之を得んのみと曰はざるや。何ぞ必ずしも楚ならんや。