人は、悪いことの原因を自分には求めない生き物である。
業績の振るわない会社で、第一線の社員に話を聴くと、
「私たちは一生懸命やっているが、うちの会社は上がどうしようもない」と言う。
それではと、経営者に話を聴くと、
「夜も眠れないくらいに戦略や方針を考えているが、下の人間が動かない」と言う。
課長、部長といった中間管理職に話を聴くと、
「いくら頑張っても、この会社は上も馬鹿だが下も馬鹿で、うまくいかない」と言う。
外から観察すれば、上から下まで全部が駄目だということが、良く分かる。
ただ、責任というものは権限に比例するものである。
であるならば、諸悪の根源は経営者ということになる。
ところが、発言力も権限に比例するものであるから、公式の場では下の人間は上に文句を言うことは稀である。
往往にして聞こえてくるのは、下の人間を批判する上からの声である。
そして、その批判の代表が、
「自分たち(管理職や一般社員)が悪いのに、会社や市場の所為にばかりしている。他責ばかりで自責がない」
という、経営者自身の他責の言葉である。
孟子が齊の宣王に、こう言った。
「もし、友人に妻子の面倒を見てくれるように頼んで他国へ行き、帰って来たとき、妻子が餓え凍えた状態になっていたとしたら、そのような友人をどうすれば良いでしょうか?」
王は、
「そんな奴は棄て去ってしまえ」
と答えた。
孟子はさらに、
「では、法律を執行する立場の長官が、その部下をきちんとコントロールできない場合、その長官をどうしますか?」
王は、
「そんな奴は辞めさせる」
と答えた。
最後に、孟子はこう訊ねた。
「国内が治まってない場合はどうしますか?」
王は、孟子の質問には気づかない振りをして左右を見まわし、話をそらした。
現代に置き換えると、社長に対して、
「一般社員がきちんと働いていないのは誰の責任ですか?」
→「もちろん、課長の責任」
「課長がきちんと部下を働かせてないのは誰の責任ですか?」
→「もちろん、部長の責任」
「部長が悪いのは誰の責任ですか?」
→「もちろん、役員の責任」
「では、役員が駄目なのは誰の責任ですか?」
→「・・・・・・」
人生幸朗ではないが、「責任者出て来い!」である。
(古すぎますかね・・・)
出典 (明治書院)新釈漢文大系4『孟子』内野熊一郎著63頁
「梁恵王章句下」
孟子謂齊宣王曰、王之臣、有託其妻子於其友、而之楚遊者、比其反也、則凍餒其妻子、則如之何。王曰、棄之。曰、士師不能治士、則如之何。王曰、已之。曰、四境之内不治、則如之何。王顧左右言他。 孟子、齊の宣王に謂ひて曰く、王の臣、其の妻子を其の友に託して、而して楚に之きて遊ぶ者有らんに、其の反るに比(およ)んでや、則ち其の妻子を凍餒(とうたい:餓え凍えること)せば、則ち之を如何せん、と。王曰く、之を棄てん、と。曰く、士師、士を治むること能はずんば、則ち之を如何せん、と。王曰く、之を已めん、と。曰く、四境の内(国内のこと)治まずんば、則ち之を如何せん、と。王、左右を顧みて他を言う。