戦国時代、斉の国に鄒忌(すうき)という大臣がいた。
背が高くてスタイルが良く、「形貌昳麗(けいぼういつれい)」であったと述べられている。昳麗とは、極めて美しいということである。
ところが、当時、斉にもう一人、美男子がいた。城北の徐公という。
美男子同士、気になっていたのであろう。
ある日、鄒忌は、妻に「自分と徐公、どちらか美男子か」と訊いた。
妻は、「それはあなたですよ。比べものになりません」と答えた。
妻の言葉だけでは安心できなかった鄒忌は、妾にも同じことを訊いた。
すると、妾の答えも妻と同じである。
たまたま訪問してきた客にも訊いてみた。
客の答えも同じであった。
その次の日、徐公が訪ねてきた。
彼を改めて見て、さらに自分を鏡に映してみると、どう考えても徐公の方が美男子である。
その夜に、鄒忌は悟った。
妻は、自分にえこ贔屓し、妾は畏れ、客は何かを自分から得ようとして、答えたのであろうと。
当時の斉の君主は、威王である。
威王は名君であり、多くの逸話が残っている人である。
鄒忌は、この威王に拝謁して、自分の悟った内容を述べた。
さらに、王にへつらいえこ贔屓する者、王を畏れる者、王から何かを得ようとする者の数は、自分とは比較出来ない多さであるとし、とするならば、王は、本当のことを見抜くことは出来ない状況に置かれているのではと、注意を喚起したのである。
威王は、さすがである。
「善し」と応え、私の過ちを面と向って非難した者には上賞を、書面で私を諌めた者には中賞を、批判がきこえた者には下賞を当与えると、布告した。
この後、斉の国力は益々盛んとなり、戦わずして他国は従うようになったという。
部下として上司に諫言することの重要性、上司として諫言を受け容れることの重要性を、端的に表した、君臣、共に素晴らしいという、数少ない逸話である。
人は、地位が上がれば上がるほど、批判を受けなくなる。 そのことを、自分の素晴らしさだと誤解してはならない、自分に対する賞賛を、本当のことだと思ってはならない、のである。