『列子』マネジメントは難しい

商太宰見孔子曰、丘聖者歟(仲尼第四)

商(宋)の総理大臣が孔子を見て言った。お前は聖者なのか、と。

孔子は、聖者などとはとんでもない。

私は、単に博学多識の人間です、と答えた。

総理がさらに、「では三王は聖者か」と聞くと、孔子は、

「三王は、智と勇に優れた人です」と答え、

「五帝は聖者か」と聞くと、

「五帝は、仁と義に優れた人です」と答え、

「三皇は聖者か」と聞くと、

「三皇は、適宜の処理が出来た人です」と答えた。

そして、言ったのは、

「三皇五帝三王が、聖人なのかどうかは、私にはわかりません」

ということであった。

三皇:伏犠(ふくぎ)、女媧(じょか)、神農(しんのう)。中国神話の登場人物。

五帝:黄帝(こうてい)、顓頊(せんぎょく)、帝嚳(ていこく)、堯(ぎょう)、舜(しゅん)の五人、これもほぼ神話の中の帝王である。

三王:夏の禹王、殷の湯王、周の文王・武王の四人、ここまでくると、歴史上の人物。

ここに書かれていることは、『列子』の中における孔子の言動であるから、どれだけ本当かは分からない。

面白いのは、聖人を頂点とした時の順序である。

「聖人←適宜の処理が出来る人←仁義に優れた人←智勇に優れた人←博学多識な人」

という順序になっている。

マネジメントとは、「状況状況に合わせて適切な手を打つことだ」、と教えられた。

二つを結び合わせると、マネジメントが出来る人は、聖人の一歩手前だということになる。

このことは、多分正しいのであろう。

だから、僕も含め多くの人は、うまいマネジメントが出来ない。

こう考えると、私は出来ている。うまくいかないのは部下のせいだと考えるのは、傲慢の誹りを免れないことである。

かといって、理想を棄てて、出来ないのが当たり前と開き直ることも、問題である。 ここは、健全に考え、難しいからこそ真剣に取り組み、常に創意工夫をこらす努力を惜しまないようにすることであろう。 year”