「善が、かえって悪い結果を引き起こすということが、世の中には間々ある」
ということを、以前、記事に書いた。
(「成功のごときは即ち天なり」を参照して下さい)
三国の呉の国に、こういう逸話がある。
ある母親が、娘を嫁に出す際、こう諭した。
「いいかい、あまり良い行いをしてはいけませんよ」
(愼んで好(よ)きことを爲(な)す勿(なか)れ)
良い事に励め、というのであれば分かるが、してはならないというのである。
不思議に思った娘が、
「それでは、悪いことをすればいいのでしょうか」
と訊ねると、
「何をいうのです。良い行いすらしてはならないのに、悪いことをしていいわけがないでしょう」
と、母は言ったという。
ついでながら、この母親は、虞韙(ぐい)という人の妻であり、夫が亡くなった後、レッドクリフにも出てきた孫権が、その才を賞して宮中に召し出したという賢婦である。
話を戻すと、この逸話は、ほとんど禅問答のようで、どう解釈すべきか迷ってしまう。
娘も、悩んだのではないだろうか。
解釈するに、参考になると思われるのは、『列子』の記述である。
『列子』の説符篇に、こういうことが書いてある。
「善を行ふは、以て名を爲さずして、名之に従ふ。名は利と期せずして、利之に歸す。利は争ひと期せずして、争ひ之に及ぶ。故に君子は必ず善を爲すを慎む」
つまり、善を行なうということは、名声を求めていなくても、自然と名声がついてくる。
名声は、利益を目的としていなくても、自然と利益がついてくる。
利益は、争いを目的としていなくても、争うようになってしまう。
だから、君子は、いたずらに善を行なおうとはしない。
ここまでくると、相当深い話である。
私レベルでは、意味は理解できても、その本質までは到底至ることが出来ない。 「善をなす」ということを考える上での、一つの参考として紹介した。 2