雪仙の寒苦鳥

マネジメントやリーダーシップのの分野では、「やらされ感」は良くないと云われる。

トップダウンの、上のからの命令で部下を動かそうとすると、部下は主体性や自主性を失ってしまう。仕事に対するモラール(やる気)は失われて、質の低い仕事しかやらなくなるというのである。

こういう考え方の背景には、人は自らやろうと決めたことは一生懸命やるが、人から押し付けられたことには抵抗感を覚えてやる気を感じない生き物であるという理解がある。

押し付けられたことに対して気がすすまないことは、確かであろう。

しかし、自分が決めたことは一生懸命やるというのは、本当だろうか。

人は、誰に言われなくても、様々なことを決意する。

煙草をやめよう、酒を控えよう、運動をしよう、本を沢山読もう・・・・。

これら、自分の決めたことを完遂する人もいるだろうが、多くは、途中で挫折したり、三日坊主で終わったりしてしまう。

私の場合は、決めただけで何もしないなどといった酷い場合もある。

「三日坊主かぁ・・・、凄いなぁ。三日もやったんだ」と。

「雪仙の寒苦鳥(せっせんのかんくちょう)」という仏教説話がある。

雪仙とはヒマラヤのことである。

この寒苦鳥が住んでいるあたりは、昼間になると日差しが豊かで暖かい場所である。寒苦鳥は、麗らかな日の光を浴びながら、一日、遊んで暮らす。

ところが、一旦、日が落ちると、そこはヒマラヤである。急激に気温は低下し、夜ともなると、まさに凍えんばかりの寒さである。

寒苦鳥は、夜の寒さに身を縮めながら思う。「明日こそは、寒さから身を守る巣を作ろう」と。

ところが、朝日が昇ると、また、陽光降り注ぐ素晴らしい一日が始まる。

寒苦鳥は、「こんなに良い天気なんだ。巣作りするなんて勿体ない。巣作りは明日だ」と、また、遊び呆けてしてう。

そして、当然のことながら、夜になるとまた、後悔の念にさいなまれる。

寒苦鳥は、こうした日々を数千年にわたって続けるのだという。

自分自身で決めた何事かは、自分との約束と表現することができるだろう。他人との間で決まった何事かは、他人との約束である。

多くの人は、自分との約束よりも、他人との約束を、より守ろうとするのではないだろうか。

その理由は明白である。

他人との約束を破れば、批難を始めとして様々な具体的不利益が生じる。それに比べて、自分との約束を破っても、誰に咎められる訳でもない。他人に迷惑を掛ける訳でもないからである。

しかし、これは表面的な理解である。

自分との約束を破ることによる不利益は、目に見えないだけであって、実際には甚大である。

自分との約束を破り続けていると、自分で自分を認めることが出来なくなってしまう。

そして、プライドが失われてしまう。

プライドを失い、自分で自分を承認できなくなると、どうなるのか・・・。

他人の目が、他人の評価が、他人の思惑が、それまで以上に気になってくる。

要は、他人にどう思われるかが、物事の判断基準になってくるのである。

人は、認められること、承認されることを欲する生き物だと思う。

自分で自分を認めることができなくなれば、他人に認めて貰うしかなくなるということである。

しかし、そこには主体的な自己はない。あるのは、八方美人の惨めさだけである。 雪仙の寒苦鳥になることをやめようと決意するだけの寒苦鳥には、なりたくないものである。