育休切り

育児休暇を理由にした解雇が流行っているらしい。

昨日のニュースで、たまたま目にした。

20年、30年一緒に働いてきた仲間でも平気で首を切り、それを勇断と評価するのが、ここ数年の日本企業である。

「育休切り」くらいのことには、何の痛痒も感じないであろう。

『レッドクリフ』で有名な三国志の時代に、華歆(かきん)という人物がいた。

(余分な話だが、『レッドクリフ』は、史実としての三国志、小説として三国志演義の両方からして、よくぞここまで改悪できたと驚嘆してしまう最低の作品だと思う)

華歆(かきん)とその仲間たちは、都である長安の騒乱を避け、南方へと落ち延びようとしていた。

その道中、一人の男と出会った。

男は、仲間にして欲しいと頼んできた。

華歆以外の者は、哀れに思って仲間に入れようとしたが、華歆が反対した。

「今は危機的な状況であり、仲間同士の連帯が必要だ。見ず知らずの人間を仲間にしても、連帯を保つことは難しい。また、もし、仲間にしてしまったら、何かあった時、見捨てることはできない」

しかし、他の者達たちは、そうは言っても可哀想じゃないかということで、仲間に入れてしまった。

その後、賊に追われている最中に、その男が井戸に落ちてしまった。

華歆以外の者は、見捨てて逃げようとしたが、華歆だけは、

「すでに仲間に入れた以上、危難だからといって見捨てることは道義に反する」

と言って、身を挺して助けたという。

華歆は、当時の誰からも尊敬され、魏の時代になって、三公という臣下としての最高位にまで登り、75歳で没した。

危機的状況の中、会社を守るためには首切りも仕方がない、これも一つの考え方である。

つまり、自分達が助かるために、井戸に落ちた男を見捨てると同じで、多くの人間が取る行動であろう。

全面的に否定することはできない。

しかし、華歆が言ったように、道義的には誉められるべきことではない筈である。

ところが、多くの経営者は、会社のためという大義名分を振りかざし、まるで正しい経営判断を行なったかのような顔をして平然している。

格好良いことを言って、多くの社員の首を切るのであれば、経営者も、その職を辞するべきであろう。

もし、辞める勇気がないのであれば、せめて、社員に対し、その家族に対して、申し訳ないという気持ちを行動で示すべきではないかと、私は切に思う。

商品やサービスには、経営者の人格が滲み出てくる、という言葉がある。 経営者が道義心を失いつつある日本企業、その商品やサービスに、明日はあるのであろうか。

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