私の仕事の中心は、人前で喋ることである。
数人の場合もあれば、多いときは数百人が対象になる場合もある。始めて人前で話をした頃には、膝ががくがくと震えて止まらなかったことを、今でも覚えている。
緊張しなければ、あがらなければ、もっとうまく出来るのにと、よく思ったものである。
しかし、ある時、師匠ともいうべき人に、こう言われた。
人前で緊張しないような人間は駄目だ。
緊張するのが当たり前であって、緊張しないということは、そもそも感受性が鈍いのだ。
緊張することはエネルギーであり、とても大切だ。ただ、そのエネルギーが自分自身に向くと、あがってしまう。
つまり、うまく喋れるだろうかとか、人に自分はどう見られているのだろうとか考えるから、あがるのだ。
しかし、この緊張のエネルギーを、聴いてくれている人たちに向けるようになると、素晴らしくなる。
人前で喋るのは得意だ、緊張なんかしないという人間は、エネルギーがないということだ。
そして、そういった人間は、決して一流にはなれない。
真の勇気とは恐がらないことではなく、恐くても、それに打ち勝つことだと言われるが、同じ真理であろう。
紀元前548年、斉の崔杼(さいじょ)が、自分の妻と密通した君主の荘公を襲撃するという事件が起こった。
荘公の危難を知った臣下の陳不占(ちんふせん)は、早速助けに行こうとした。
しかし、かれは臆病な性格であり、腹ごしらえしようとした時には箸を落とし、兵車に乗っても掴まるべき横木を握ることができなかった。
それを見た部下は、そんなに恐がっていたのでは、助けに行っても役には立たないでしょうと、馬鹿にした。
しかし、陳不占は、君主の危難に赴くのは「義」というものだ。
臆病というのは私事(わたくしごと)だ。
私事で「義」という公(おおやけ)のことをないがしろには出来ないとして、荘公の下へ向った。
しかし、現地に着くと、戦闘の声を聞いて恐れおののいて死んだという。
現代人がこの話しを聞いてどう思うかは微妙だが、少なくとも当時の人は、陳不占は仁者の勇気を持っていると称えた。
人生は、やらなければならないことを分かってはいても、なかなかやろうとしない自分との戦いかもしれない。
そして、出来る出来ない、得意不得意に関係なく、やらなければならないことをやるのが、勇気というものであろう。
書きながら、反省しきりである。
出典 (明治書院)新釈漢文大系59 『蒙求 下』早川光三郎著 1025頁
「不占殞車」
新序曰、齊崔杼弑莊公。有陳不占者。聞君難、將赴之。比去、餐則失匕、上車失式。御者曰、怯如是。去有益乎。曰、死君義。無勇私也。不以私害公。遂往。聞戰闘之聲、恐駭而死。人曰、不占可謂仁者之勇也。