決議は100%人を拘束せず

決めたことをやる、ということは良いことの筈である。

これを否定する人は、滅多にいない。

しかし、なかなか決めたことが実行できないという話は、多い。

この場合、二つの側面から考える必要がある。

一つは、個人の場合である。

私たちは、自分自身で色々なことを決めるが、決めただけで実行しなかったり、実行しても長続きしなかったりする。

これは、一言で云えば、個人の意志力の問題である。

違う表現をすれば、習慣の問題である。人の日常はほとんど習慣から成り立っており、習慣にない新しい行動を定着させることは、本来、難しい。

このことは、日本人に限らず、何人においても難しいであろう。

もう一つの側面は、集団や組織の場合である。

職場などで、全員で決めたことですら、守られないことが多い。

これも、意志力や習慣の問題なのであろうか。

決め事が、個人の行動として定着するためには、個人の習慣が変わる必要がある。

この部分でいえば、意志力の問題とも云える。

しかし、より大きくて根深い問題がここには潜んでいると、私は思う。

以前にも紹介したが、「日本人とユダヤ人」の中で、イザヤ・ベンダサンは、

「日本では、『決議は100%、人を拘束せず』という厳然たる原則がある」

と述べている。

変な言い方だが、「決めたことを守らなくてもいい」という決め事が、あるということである。

法律でいえば、道路の速度制限などは、その典型であろう。

制限速度を破ったことのないドライバーは、日本に何人いるのだろう。

日本人は、そもそも決め事とかルールとかが、嫌いなのであろう。

嫌いだから、決めてもその通りしたくないのかもしれない。

仕事上のマニュアルなども、その典型である。

マニュアル通りに、業務が進むことは珍しかったりするのである。

マニュアルはマニュアル、実際の業務とは違うなどと、もっともらしく言う人さえいる。

マニュアルに忠実にしようとすると、あいつはマニュアル通りにしか出来ないマニュアル人間だなどと、揶揄されてしまう。

それでも、こういった事務的な仕事であれば、細かい部分は別にしても、大枠はルール通りに進むであろう。

最近はあまり言われなくなったが、自動車販売の世界では、「月一(つきいち)訪問」という言葉があった。

自分の持っている全ての顧客を、月に一回は訪問しなさいという決め事である。

しかし、実際に行なわれた例を、私は知らない。

「全数見積り提出」といったことは、今で良く言われている。

新型車が出た時など、これも自分の顧客全てに見積書を出せという決め事である。

しかし、実際に全ての顧客に見積書を出したという例を、私は知らない。

これらのことは、決め事でなくスローガンである。

要は、一生懸命仕事をしましょうということを、違う表現で言っているだけのことである。

そして、また、この点から日本の組織を視てみると、スローガンや指針は沢山あっても、決め事は数少ないことに気づく。

これは、ある面、凄いことかもしれない。

特に決め事・ルールがなくても、日本人は組織を運営してきたのである。

しかし、このやり方が通用するのは、社会全体に共通で当たり前の基準が存在する場合のみである。

また、高度成長期のように、常に組織が発展し拡大していくことができる場合のみである。

簡単に云えば、みんなが同じように考えて、しかも、余裕がある場合のみということである。

そして、今や、そういった時代ではない。

決めたことは守らなくていいとか、そもそも杓子定規な決め事ではなく、人としての常識やリーダーの人徳で組織を運営しようというのでは、生き残ることは難しいのが、今の時代である。

なぜなら、これからの組織は今まで以上に、その独自性を追求することが必要になるであろうし、そのためには選択と集中が不可欠となる。

この場合、構成員が一致団結して、組織として決めたことを守ってくれなければ、どうしようもないからである。 ただ、このためには、『決議は100%、人を拘束する』という、今までとは違った判断基準を組織内に根付かせなければならない。