旧主の喪に服す

一人の満足した顧客は、10人の営業マンに優る、と教えられた。

この反対に、不満をもったお客は、10人のライバル企業の営業マンに匹敵するのだろう。

昔、といってもまだ一年にもならないが、大きな組織に所属していた時の話である。

新入社員の内定式に立ち会ったことがある。

ある新入社員の挨拶の言葉が、とても印象に残った。

「私の父はリストラにあって定年前に会社を辞めされられました。私は、頑張って定年まで働きたいと思います」

今の若い世代は、自分の父や母が、また、自分の友人の父や母が、リストラと言う人減らしを経験した世代である。

そして、派遣切りやパート・アルバイト減らし、そして求人数減少の中、なかなか就職できないという厳しさを味わっている世代でもある。

孔子の孫である子思(しし)に、魯(ろ)の穆公(ぼくこう)が、このようなことを訊ねた。

「旧主が亡くなった場合、そのために喪に服すということがあったらしいが、本当か?」

少し補足すると、戦国時代の中国では「二君に仕えず」という考え方は、それほど強くはなかった。

これは、日本の戦国時代もそうであるが、主君を2度3度と変えることが、結構あったのである。

今の日本で、勤める企業を変えるようなものである。

転職しすぎることには批判があるが、転職そのものを悪とはしていない。

穆公のいう「旧主」とは、以前に使えた君主のことである。

ついでながら、子思という人は、有名な孟子の先生である。

この穆公の問いに対し、子思は、こう答えた。

「昔は、人を登用するにも、人を退けるにも礼を用いました」

つまり、人を辞めさせる場合、丁重にきちんとした礼儀を以て辞めさせた、というのである。

だから、辞めさせられた人間も、旧主の徳を慕って、喪に服すという行為に出た訳である。

ところが、と子思は言う。

「昨今では、人を用いるときは極めて丁重ですが、退けるときは、手のひらを返して酷い仕打ちをします。喪に服すどころか、旧主に対して歯向かってこないだけでも、幸運ではありませんか」

企業の都合で、どうしても人員整理をやらざるを得ないことも、あるだろう。

その時に、企業は礼を尽くしているだろうか。

また、採用に関しても、今は、企業が強気に出ることが可能な時代である。

応募してきた人間を採る場合は、特に問題は起こらない。

しかし、採らない場合、その断り方に礼を尽くしているだろうか。

パートの募集広告を見て、面接に行き、担当者の無礼な態度に憤りを感じて、二度とその店では買い物をしないという主婦の話を、何度か聞いたことがある。

リストラに会い、二度と自分が勤めていた会社の商品は買わないと公言するサラリーマンの話も、良く聞く。

これは、退職割増金を多く出しました、といったレベルの話ではない。

もちろん、そういったことも大事であるが、金を払うから文句ないだろという態度こそが、礼を失していることに気づく必要がある。 退職者や採用を断った人間を、満足した顧客にするのか、不満を感じたお客にするのか、企業は今一度、考えてみたほうがいいだろう。