扶助・合図と意図(100鞍目)

予定では8月の前半で到達する筈だった100鞍目に、今日、到達した。

だからといって何が変わる訳でもなく、更なる高みを目指すだけである。

今日、口で「Trot」と言ってみたら、速歩が出た。

ティグレ(馬)は、特にそのように調教されている訳ではない。

では何故、出たかといえば、速歩をしたいという僕の意図が、僕の身体に微妙な変化をもたらし、それがティグレに伝わったのだと、思う。

馬に対する様々な扶助や合図は、馬の行動と一つ一つが対応している訳ではない。

つまり、ある合図があったとした場合、自動的に習慣的に、場合によっては無意識の反応として、馬は動いているのではないと思う。

人間は馬に対して様々な行動を要求する。

要求する行動の数だけ扶助や合図があったとしたなら、とてもではないが、馬は覚えることは出来ないだろう。

馬の腹を圧迫するという一つの合図を受けたとき、馬は馬なりの判断して行動を選択していると思う。

だから、常歩で前に進むこともあれば、速歩になることもあれば、バックすることもあるのだろう。

駈歩を出す時、内方脚を前に出し、外方脚を後ろに引いて、ウエスタンでは外方脚で合図を出す。

ブリティッシュでは、内方脚で合図を出す筈である。

では、これ以外の合図を送ったら駈歩は出ないかといえば、そんなことはない。どうやっても出る時は出る。

もちろん、正しい合図の仕方を学ぶのは大事だが、間違えると枝葉に拘ってしまうようである。

つまり、脚の位置が前過ぎるとか後過ぎるとか・・・・、といったことである。

本来の問題である、駈歩をどう出すかというよりも、脚の位置はどうあるべきかという問題にテーマがズレてしまう。これこそ、本末転倒であろう。

少し理屈っぽいことを書いたかもしれない。

言いたいことを整理すると、内方脚を前に出し外方脚を後ろにして、どちらかの脚で合図を送るから馬は駈歩をする、という考え方は間違っているのではないかということである。

大事なことは、まず「駈歩をしたい」という人間の意図である。この意図があって初めて、合図や扶助も生きてくるのではないだろうか。

最初に書いた「Trot」の話だけではなく、今日は、色々な場面で、この意図の重要性を感じた騎乗であった。

丁度100鞍目に、こういった感触を得たことは感慨深いものがあった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA