大分前のことであるが、テレビで天才少年や少女のことを紹介していた。
凄いなと思った。
しかし、番組の中で、ある著名人は、
「子供のときに天才と呼ばれる人間は数多くいる。ただ、成長して大成する例は少ない」
とも述べていた。
大器晩成といわれるように、若いうちから優秀だと、かえって良くないという考え方は、古くからあったようである。
映画『レッドクリフ』のパート1で、曹操によって斬殺される人物がいる。
史実とは微妙に違うが、孔融(こうゆう)という人である。
孔融は、名から分かるように、論語で有名な孔子の子孫である。
20世もしくは24世の孫である(本によって違っている)。
曹操は、聖人である孔子の子孫を殺したということだけでも、後世から評判が悪い。
孔融という人は、非常に利発な子供であったという。
当時、李元礼という著名人がいた。
「天下の模楷(模範)は李元礼」と世間から称えられていた。
ただ、誇り高い人物であり、滅多なことでは人と交際することはなかった。
彼に認められて、その門に出入りできるようになることは、非常な名誉であり、このことを「登龍門」と称したという。
(これが、「登龍門」という言葉の由来である。李元礼の門を通ることで、鯉が龍になる)
孔融は、まだ10歳の子供であったが、是非、李元礼に会いたいと思った。
そこで、直接、李元礼の屋敷に出向き、門番に対してこう言った。
「私は、李君とは先祖代々のお付き合いがある家の者です」
それではということで、中に通されたが、李元礼は、孔融という子供を知らない。
「代々の付き合いというが、どんな関係があるのか」と訊ねると、孔融は、
「私の先祖である孔子と、李君の先祖である老子は、徳と道を同じくし、互いに師友でした。
ですから、私と李君は、代々のお付き合いになるのです」
と答えた。
(老子は、その姓は李、名は耳、あざなは聃とされている)
これには、李元礼も、同席していた他の賓客たちも、感嘆したという。
しかし、その場に遅れてやってきた陳煒(ちんい)という人物だけは、孔融のことを小賢しいと感じたのか、
「小さいときに優れているからといって、大きくなった時に素晴らしくなるとは限らない」
と、少し辛い言葉を述べた。
すると、すかさず孔融は、
「では、あなた様も、小さいときにさぞかし優れていたのでしょう」
と反論し、座の者達は、改めて孔融の才知を誉めたという。
この逸話からしても、孔融は、頭は良かったかもしれない。
しかし、可愛げのない子供である。
そして、三つ子の魂百までというように、この可愛げのない性格は、大人になっても変わらなかった。
結果、曹操の怒りをかい、子供も含めて誅殺されてしまった。
思うに、「この人は頭が良いな」という人は何人も見てきたが、不思議と成功している人は少ない。
人生は、才知があるというだけで渡って行けるほど、簡単なものではないのだろう。
さらに極論すれば、才知があればあるほど、それに頼ってしまい、人としての品性に欠けてしまうことが、多いように感じられる。
よく、知と徳を兼ね備えよといわれる。 しかし、行過ぎた知は、かえって徳を害ってしまうように、思われてならない。