472子張曰、士見危致命、見得思義、祭思敬、喪思哀。其可已矣。 (子張第十九)
子張曰く、士は危きを見ては命を致し、得るを見ては義を思ひ、祭には敬を思ひ、喪には哀を思ふ。其れ可ならんのみ。
473子張曰、執德不弘、信道不篤、焉能爲有、焉能爲亡。 (子張第十九)
子張曰く、德を執ること弘からず、道を信じること篤(あつ)からずんば、焉んぞ能く有りと爲さん、焉んぞ能く亡しと爲さん。
474子夏之門人問交於子張。子張曰、子夏云何。對曰、子夏曰、可者與之、其不可者拒之。子張曰、異乎吾所聞。君子尊賢而容衆、嘉善而矜不能。我之大賢與、於人何所不容。我之不賢與、人將拒我。如之何其拒人也。 (子張第十九)
子夏の門人交(まじはり)を子張に問ふ。子張曰く、子夏何(なに)とか云へると。對へて曰く、子夏曰く、可なる者には之に與(くみ)し、其の不可なる者には之を拒めと。子張曰く、吾が聞ける所に異なり。君子は賢を尊びて衆を容れ、善を嘉(よみ)して不能を矜(あはれ)むと。我にして大賢ならんか、人に於て何の容れざる所あらん。我にして不賢ならんか、人將に我を拒まんとす。之を如何ぞ其れ人を拒まんや。
475子夏曰、雖小道、必有可觀者焉。致遠恐泥。是以君子不爲也。 (子張第十九)
子夏曰く、小道と雖も、必ず觀る可き者あり。遠きを致さば恐らくは泥まん。是を以て君子は爲さざるなり。
476子夏曰、日知其所亡、月無忘其所能、可謂好學也已矣。 (子張第十九)
子夏曰く、日に其の亡き所を知り、月に其の能くする所を忘るること無きを、學を好むと謂ふ可きのみ。
477子夏曰、博學而篤志、切問而近思、仁在其中矣。(子張第十九)
子夏曰く、博く學びて篤く志し、切に問ひて近く思へば、仁其の中(うち)に在り。
478子夏曰、百工居肆以成其事、君子學以致其道。 (子張第十九)
子夏曰く、百工は肆に居て以て其の事を成し、君子は學びて以て其の道を致す。
479子夏曰、小人之過也必文。(子張第十九)
子夏曰く、小人の過(あやまち)や必ず文(かざ)る。 =80 0
480子夏曰、君子有三變。望之儼然。卽之也溫。聽其言也厲。 (子張第十九)
子夏曰く、君子に三變有り。之を望めば儼然たり。是に卽けば溫なり。其の言を聽けば厲(はげ)し。
481子夏曰、君子信而後勞其民。未信、則以爲厲己也。信而後諫。未信、則以爲謗己也。 (子張第十九)
子夏曰く、君子は信ぜられて後に其の民を勞す。未だ信ぜられざれば、則ち以て己を厲(や)ましむと爲す。信ぜられて後に諫む。未だ信ぜられざれば、則ち以て己を謗(そし)ると爲す。
482子夏曰、大德不踰閑、小德出入可也。 (子張第十九)
子夏曰く、大德閑(のり)を踰えずんば、小德は出入すとも可なり。
483子游曰、子夏之門人小子、當洒埽應對進退、則可矣。抑末也。本之則無。如之何。子夏聞之曰、噫、言游過矣。君子之道、孰先傳焉、孰後倦焉。譬諸草木區以別矣。君子之道、焉可誣也。有始有卒者、其唯聖人乎。 (子張第十九)
子游曰く、子夏の門人小子は、洒埽(さいさう)應對進退に當りては可なり。抑(そもそも)末(すゑ)なり。之を本づくれば則ち無し。之を如何にせんと。子夏之を聞きて曰く、噫(ああ)、言游過てり。君子の道は、孰れをか先として傳え、孰れをか後として倦まん。諸を草木の區にして以て別あるに譬ふ。君子の道は、焉んぞ誣(し)ふ可けん。始(はじめ)有り卒(をはり)有る者は、其れ惟(ただ)聖人か。
484子夏曰、仕而優則學。學而優則仕。 (子張第十九)
子夏曰く、仕えて優(いう)なれば則ち學び、學びて優なれば則ち仕ふ。
485子游曰、喪致乎哀而止。 (子張第十九)
子游曰く、喪は哀を致して止む。
486子游曰、吾友張也、爲難能也。然而未仁。 (子張第十九)
子游曰く、吾が友張や、能くし難きを爲す。然れども未だ仁ならず。
487曾子曰、堂々乎張也。難與竝爲仁矣。 (子張第十九)
曾子曰く、堂堂たるかな張や。與に竝(なら)びて仁を爲し難し。
488曾子曰、吾聞諸夫子。人未有自致者也。必也親喪乎。 (子張第十九)
曾子曰く、吾諸を夫子に聞けり。人未だ自ら致す者有らざるなり。必ずや親の喪かと。
489曾子曰、吾聞諸夫子。孟莊子之孝、其他可能也。其不改父之臣與父之政、是難能也。 (子張第十九)
曾子曰く、吾諸を夫子に聞けり。孟莊子の孝は、其の他は能くす可し。其の父の臣と父の政とを改めざるは、是れ能くし難しと。
490孟氏使陽膚爲士師。問於曾子。曾子曰、上失其道、民散久矣。如得其情、則哀矜而勿喜。 (子張第十九)
孟氏陽膚をして士師爲らしむ。曾子に問ふ。曾子曰く、上其の道を失ひて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、則ち哀矜(あいきよう)して喜ぶこと勿かれ。
491子貢曰、紂之不善、不如是之甚也。是以君子惡居下流。天下之惡皆歸焉。 (子張第十九)
子貢曰く、紂の不善は、是(かく)の如く之甚しからざるなり。是を以て君子は下流に居ることを惡む。天下の惡、皆焉(ここ)に歸すればなり。
492子貢曰、君子之過也、如日月之食焉。過也人皆見之。更也人皆仰之。 (子張第十九)
子貢曰く、君子の過や、日月(じつげつ)の食の如し。過てば人皆之を見る。更(あらた)むれば人皆之を仰ぐ。
493衞公孫朝、問於子貢曰、仲尼焉學。子貢曰、文武之道、未墜於地在人。賢者識其大者、不賢者識其小者。莫不有文武之道焉。夫子焉不學。而亦何常師之有。 (子張第十九)
衞の公孫朝子貢に問ひて曰く、仲尼焉(いづく)にか學べると。子貢曰く、文武の道、未だ地に墜ちずして人に在り。賢者は其の大なる者を識し、不賢者は其の小なる者を識す。文武の道有らざること莫し。夫子焉にか學ばざらん。而して何の常の師か之れ有らん。
494叔孫武叔語大夫於朝曰、子貢賢於仲尼。子服景伯以告子貢。子貢曰、譬之宮牆、賜之牆也及肩。窺見室家之好。夫子之牆數仞。不得其門而入、不見宗廟之美百官之富。得其門者或寡矣。夫子之云、不亦宜乎。 (子張第十九)
叔孫武叔大夫に朝に語(つ)げて曰く、子貢は仲尼よりも賢(まさ)れりと。子服景伯以て子貢に告ぐ。子貢曰く、之を宮牆(きゆうしやう)に譬ふれば、賜の牆は肩に及べり。室家の好(よ)きを窺ひ見ん。夫子の牆は數仞なり。其の門を得て入らずんば、宗廟(そうべう)の美百官の富を見ざらん。其の門を得る者は或いは寡し。夫子の云へること、亦宜(むべ)ならずや。
495叔孫武叔毀仲尼。子貢曰、無以爲也。仲尼不可毀也。他人之賢者丘陵也。猶可踰也。仲尼日月也。無得而踰焉。人雖欲自絕、其何傷於日月乎。多見其不知量也。 (子張第十九)
叔孫武叔仲尼を毀(そし)る。子貢曰く、以て爲すこと無かれ。仲尼は毀る可からざるなり。他人の賢者は丘陵なり。猶ほ踰ゆ可し。仲尼は日月なり。得て踰ゆる無し。人自ら絕たんと欲すと雖も、其れ何ぞ日月を傷(そこな)はんや。多(まさ)に其の量を知らざるを見る。
496陳子禽謂子貢曰、子爲恭也。仲尼豈賢於子乎。子貢曰、君子一言以爲知、一言以爲不知。言不可不愼也。夫子之不可及也、猶天之不可階而升也。夫子之得邦家者、所謂立之斯立、道之斯行、綏之斯來、動之斯和、其生也榮、其死也哀。如之何其可及也。 (子張第十九)
陳子禽子貢に謂ひて曰く、子恭を爲すなり。仲尼豈子よりも賢(まさ)らんやと。子貢曰く、君子は一言以て知と爲し、一言以て不知と爲す。言愼まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるは、猶ほ天の階して升る可からざるがごとし。夫子をして邦家を得ば、所謂(いはゆる)之を立つれば斯に立ち、之を道(みちび)けば斯に行き、之を綏(やす)んずれば斯に來り、之を動かせば斯に和(やはら)ぎ、其の生くるや榮え、其の死するや哀しむ。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。