何となく印象に残る話

中国の古典を読んでいて印象に残るのは、やはり英雄、豪傑、名臣と言われる人たちの事跡である。

しかし、一般に知られていなくても、何故か、気になる人物もいる。

例えば、石慶という前漢時代の人である。

大した逸話がある訳ではない。

武帝の御者をしていた時、武帝が、「車を引いている馬は何頭か」と訊ねた。

石慶は、鞭で一頭ずつ馬を確認し、「六頭です」と答えた、というのである。

実は、天子の車を引く馬は六頭と決まっているから、本来は数える必要はない。

しかし、それでもきちんと数えるほど、謹厳実直な人間であったという逸話である。

私は、自分自身がこういったタイプではないので、何となく憧れを感じてしまう。

この逸話が印象に残る理由は、実は、もう一つある。

それは、大岡越前に、似たような話があるからである。

ある時、野田文蔵という算術の天才といわれた人物がいて、それを公儀で召抱えようということになった。

そこで、大岡越前が面接を行なった。

面接の場で、大岡は、野田文蔵に問題を出した。

「百を二で割ると、いくらになるか」

野田は、傍らから算盤を出して、慎重に珠を弾いて計算し、答えた。

「五十でございます」

大岡は、野田を大いに気に入り、勘定所に雇い入れた。

以後、公儀勘定所では計算に全く間違いがなくなったという。

これは、ちょっと感動する話ではないだろうか。

それにしても、こういった何気ない逸話が、きちんと記録に残っていることに、私は興趣を抱いてしまう。

記録に残したということは、当時の人たちが、残すだけの価値を見出していたということである。

大切なことだと思ったからこそ、残したのであろう。

そして、石慶の時代からは2200年、大岡越前の時代からは300年がすでに過ぎている。 今から300年後、2000年後に向って、私たちの時代が残す逸話は、どのようなものになるのだろうか、と考えると、これはこれで興味深い。