36年前の1974年3月、フィリピンのルバング島から小野田元少尉が日本へ帰国した。
敗戦の1945年以降、ほぼ30年間、戦い続けた訳である。
部下の赤津一等兵(1949年投降)、島田庄一伍長(1954年5月7日戦死)、小塚金七上等兵(1972年10月19日戦死)と共に情報収集や諜報活動を続けた。
この間、百数十回の戦闘を行い、フィリピンの兵士や警察官を30人以上殺傷している。
戦争行為として行っていなければ、立派な犯罪者である。
何故、戦い続けたかといえば、任務解除の命令が届かなかったからである。
ということは、小野田元少尉に戦闘を中止させ帰国させるためには、任務の解除を行わなければならなかったということである。
幸いなことに直属の上官である谷口義美元少佐は存命であった。
谷口元少佐がルバング島に出向いて、任務の解除と帰国命令を小野田元少尉に伝達することによって、戦闘は中止された訳である。
なぜ、このようなことを長々と述べたかというと、マネジメント原則の一つである「命令系統一元化の法則」もしくは「ワンマンワンボスの原則」をよく表していると思うからである。
この原則は、一言で言うと、部下にとって上司は一人であり、部下はその上司の指示命令によって仕事を行い、その報告も、当然その上司に行うということである。
上司の側から言えば、指示命令ができるのは、自分の直属の部下に限られるということである。
実に簡潔な原則であるが、これほど守られていない原則も少ない。
もちろん、マネジメント原則はあくまでも原則であり、実際に適用する場合は状況に合わせた柔軟性が必要である。
例えば、ある社員がお客さまに対して許されない言動を行っていたとする。
こういった場合は、例え自分がその社員の上司でなくとも、当然、その行為を中止させなければならないだろう。
小野田元少尉の場合は、本来、柔軟性を持って対応しなければならない特殊な状況であろう。
しかし、原則どおり、直属の上官がフィリピンに出向き、任務の解除を行った訳である。
任務の解除命令を受けた後、小野田元少尉は、これも原則に則って、情報収集した内容を谷口元少佐に報告している。
軍隊は人の生死に関する活動を行うのであるから、責任と権限を明確にすることが重要である。
企業組織において、軍隊ほど厳格に原則を適用する必要はないとは思う。
しかし、色々な人間が勝手に指示命令を出したり、勝手に指示命令を受けていたのでは、責任と権限を明確にすることはできず、組織は麻のように乱れるであろう。
にもかかわらず、自社の従業員は全て自分の部下だと考え、指示命令を連発する経営者は枚挙に遑(いとま)がない。
課長よりも部長、部長よりも役員と、より偉い人の命令を聞くことが大事だと考えている社員も多いだろう。
そして、彼らは、自分たちの行動を間違っているとは考えていない筈である。
これはどういうことかといえば、そもそも「ワンマンワンボスの原則」自体を知らないということである。
であるから、日本の企業では、ワンマンワンボスの原則は、特殊な状況の時に守られないのではなく、原則として守られていないのであろう。
このことは、少なくとも日本の社会や文化の特殊性ではないだろう。
何故なら、例えば江戸時代を考えてみても、原則としての「ワンマンワンボスの原則」は理解していたと思われるからである。
江戸時代においては、身分が低い人間は主君と直接のコミュニケーションをとることは許されなかった。
何かを聞かれても、直接答えるのではなく、取次ぎの臣に対して答え、その臣が主君に伝えるのである。
特別な場合にだけ、時代劇などで時々出てくるが、
「直答を許す」
となる訳である。
身分が低い人間は高い人間と話すことが許されないということは、反対から言えば、主君といえども、勝手に身分の低い人間と喋ってはいけないということである。
何故か?
「ワンマンワンボスの原則」が崩れるからである。
この原則が崩れると、組織は乱れる。
身分が低い人間は高い人間と話すことが許されないということは、下を縛るルールというよりも、上を縛るルールである。
本来、ルールというものは、多くの場合、上を縛るものである場合が多い。
金融商品取引法により、上場会社においては「内部統制報告書」の提出が義務付けられた。会社法でも内部統制を「事業報告書」で開示しなければならない。
しかし、経営者の暴走に対して内部統制は無力であるとの議論もある。
つい昨年のオリンパスの事件を見ても、そうであろう。
本来、内部統制とはマネジメントのことではないだろうか。 もしそうだとするならば、マネジメント原則の適用こそが大事であろう。その原則の中でも、特に重要なものが、「ワンマンワンボスの原則」だと、私は考えている。