ライダーは調教師ということを具体的に考える(39鞍目)

一度できたことは、次もできる。

但し、うまくできるとは限らない。

今日も、常歩から速歩にもっていくことは出来たし、速歩から駈歩に移行させることもできた。

しかし、私の合図をきちんと理解してティグレが動いているかといえば、そうではない。

以前と違い、速歩が出るまで、駈歩が出るまで、私が諦めなくなったからである。

このことは、大きな進歩だとは思っているが、「ライダーは調教師たれ!」という観点からすると、どうも違うという気がする。

人間(私)が駈歩の動きに慣れるための練習をするのであれば、とにかく馬を駈歩状態にさせて、後は出来るだけ長く駈歩を持続させればいい。

しかし、これでは、次に駈歩を要求した時に、また強い扶助を出して、駈歩が出るまで諦めないということの繰り返しである。

馬をコントロールという意味での進歩は、あまり無いといっていいだろう。

今、考えなければならないことは、強い扶助の出し方や馬が言うことをきくまで諦めないということではなく、

例えば、私が軽くチョンチョンと腹を押したら、「あ、この人は速歩をしろと言ってるんだな」ということを理解させることではないのか・・・?。

つまり、最初は強く5回腹を蹴って速歩が出たなら、次は4回で、次は3回で、更に強さも弱めていく・・・・、そして最後には軽くチョンチョンで速歩発進。

これが求められる姿だろう。

例えば、馬を右に曲げたい時には、まずは、左の首にレインを当てる。それで右に行けば良いが、行かない時には右のレインを引っ張って馬に不快感を与える。馬が右に行けば、レインを緩めて楽にしてあげる。

また、左の首にレインを当てる。右に行かない時には、また右のレインを引っ張って不快感を与える。

これを繰り返せば、レインを当てるだけで、その後にレインを引っ張らなくても、馬は右にも左にも行くようになる。

このことは、ライダーの視点からすれば、馬を左右にガイドする技術が身に付いたと表現できると同時に、レインの操作で馬が左右に動くように調教したと言うこともできる筈である。

このレインの事例を速歩発進に活かすのであれば、少しの扶助で発進するまで繰り返し練習をすることが大事だろう。

まずは軽い扶助を与える、簡単には発進しないだろうから、段々と強くする。

発進したならば気持ちよく速歩をしばらくさせてあげ、一旦 止める。

また、発進の扶助をする。発進したならば気持ちよく速歩させ、また止める。

そして、自分の満足する扶助で発進するようになったならば、この練習はとりあえず止めた方がいいのではないかと、思う。

人間の技術の向上と言うことを考えるならば、上手くいった時に何度もやって身に付けようという考え方もできる。

しかし、馬の立場になったら、上手くいったことを、その後、何度もやらされるのは弊害になるような気がする。(このあたりは、馬ではないのでよく分かりませんが・・)

何はともあれ、上に書いたような形で馬が軽い扶助で速歩発進するようになれば、人間(私)の立場からすれば速歩発進の技術が向上したということになり、違う表現をすれば、軽い扶助で速歩発進するように、馬を調教したということになるだろう。

今日の騎乗を振り返りながら、エルドラドランチのモットーである「ライダーはすべて調教師」ということを、改めて具体的に考えてみた。

ところで、エルドラドでは土日限定で昼食が振る舞われる。

下の写真は、今日の昼ごはん。

TT先生特製のパスタである。茹で加減が絶妙で、期待をはるかに超える美味しさであった。上手なのは乗馬だけではないようである^^

会員の方からの差し入れのぜんまい。灰汁ぬきが必要で今日は食べられなかった。

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