『韓非子』という書物は、実に魅力的である。
いわゆる儒教的な考え方への徹底的な批判であり、批判というものの持つ鋭さや力強さに満ちている。
マネジメントという観点から、『論語』と『韓非子』、あえてどちらを選ぶかと問われたら、僕は『韓非子』の方を選んでしまう。
韓非子は、言う。
世間の学者達は、姦邪の臣を威厳で制御するのではなく、仁義惠愛が最も大切だと人君に説いている、と。
しかし、それは本当に正しいのだろうか、と疑問を呈するのである。
例えば、貧困者に施しを行なうことは、仁義であろう。
民を哀憐し、誅罰を加えることを躊躇することは、惠愛であろう。
では、それを実際に行なったら、どういうことになるのか。
韓非子は、こう言っている。
夫有施與貧困、則無功者得賞、不忍誅罰、則暴乱者不止(姦劫弑臣)
それ、貧困に施與(しよ)することあらば、すなわち、功無き者、賞を得、誅罰に忍びずば、暴乱の者、やまじ。
貧困であるからといって施しを与えるのは、功績が無いのに賞することである。
誅罰を加えることを躊躇するのは、悪いことをした人間に罰を与えないことである。
これでは、民は一生懸命に働くことは無くなり、犯罪は無くならないであろう、と。
人君が、仁義惠愛の心と行動を以て臨めば、自然と世の中が治まる、といったものでは無い、というのが韓非子の主張である。
現代の日本を考えた時、貧困は大きな問題である。
しかし、貧困を解消するために、単に富の再分配を行なうことが良いかといえば、とてもそうは思えない。
社会は、常に競争が必要だと、僕は思う。
頑張った者には褒美があり、社会に損害を与えた者には罰が必要だろう。
ただ、一度負けても、罪を犯しても、次のチャンスは与えなければならない。
敗者復活の思想や制度が無い競争だけの社会は、人の世とは言えないと思う。 id())retu