先生は言われた。
もしも、こうやったら絶対に儲かって金持ちになれるという方法があれば、そのためにどんなに人に軽蔑されたって構わない、私だってそれをやるだろう。
しかし、そんな方法が無いのであれば、自分が正しいと考え、好ましいと思っているやり方をしていきたい。
本当にそう思う。
ところで、「君子愛財、取之有道」(君子、財を愛す、之を取るに道あり)という言葉がある。
ネットで調べてみると、『論語』の言葉であるとか、孔子の教えであるとか書いている人が多い。
しかし、私の知る限り、『論語の』の中にはそのような言葉はない。
孔子が、富を軽蔑せず否定もしていないことは、確かである。
ただ、「君子(人格識見行動が優れた人)、財を愛す」というと、少し違うように思う。
これだと、論理的には、財を愛さない者は君子ではない、ということになってしまう。
せめて、「人(人間というものは)、財を愛す」であれば、孔子の思想に近いであろう。
出典 (明治書院)新釈漢文大系1『論語』吉田賢抗著 159頁
述而第七
子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦爲之。如不可求、從吾所好。 子曰く、富にして求め可くんば、執鞭(しつべん、行列の先払いを行う賤しい仕事)の士と雖も、吾も亦(また)之を爲さん。如(も)し求め可からずんば、吾が好む所に従はん。