先日、母が車を壁にぶつけてドアに傷がついた。
何ヶ月前にも、同じようなことがあった。
「どうも、この車は縁起が悪い」と言っている。
もう年は80歳近いのであるから、これは縁起の問題ではなく、運転技術の問題である。
神頼みや迷信といったことは、一体、いつになったらなくなるのだろう。
まともな人間は、古代であっても、そのようなことには否定的であった。
例えば、斉の名宰相として有名な晏嬰(あんえい、紀元前5世紀の人)である。
君主の景公がある時、猟に出かけ、山で虎を見かけ、沢で蛇を見かけた。
これは、不祥ではないかと晏嬰に相談すると、
「山は虎の棲みかであり、沢は蛇の棲みかです。見るのは当たり前です」
と、実にそっけなく答えている。
ある時、景公は病気になり、なかなか治癒しない。そこで、景公は、
「いつも多くのお供え物をして天を祀っている。にもかかわらず病気になってしまった。神官に責任があると思うので、二人の神官を殺そうと思う」
と、晏嬰に言った。
晏嬰は、景公に、「君は、天に祈ればご利益があるとお考えですか」と問うと、「あると思う」と景公は答えた。
では、と晏嬰は述べた。
「祈ってご利益があるのなら、呪詛しても、その効果はあるでしょう。君の政治は乱れており、多くの民は君を咎怨誹謗し、天に向かって呪詛しております。百万の民が君の不幸を天に訴えているのです。たかだか二人の神官が祈っても、天はお聞き入れにならないでしょう」、と。
実に痛烈である。
孔子も、「怪力乱神を語らず」と言っている。
古代の方が現代よりも合理的だったかもしれない。
時代は下って、と言っても紀元前4世紀頃、魏に西門豹(せいもんひょう)という人がいた。
鄴(ぎょう)という所の長官になったが、民が貧窮している姿を見て、その理由を聞くと、
「黄河の神に毎年、娘を生贄として捧げ、その祭礼の費用に多額の税を徴収されているからです」
とのことであった。
早速、その祭礼に出向くと、年取った巫女とその弟子達、地元の豪族や役人達が集まっていた。
西門豹は、生贄の娘を見て、「これは器量が良くない。これでは神もお喜びにはなるまい。もっと美しい娘を見つけようと思うので、そのことを神に伝えてもらいたい」と言って、巫女を河に投げ込んだ。
しばらくの後、「随分帰ってくるのが遅い。弟子に見に行ってもらおう」と、今度は巫女の弟子たちを河に投げ込んだ。
また、しばらくして、「巫女たちは女だから、神も話を聞いてくれないのだろう。君たちに行って貰おう」と、豪族たちの内、何人かを投げ込んだ。
ここまでくると、流石に地元の豪族や役人たちは、額を地面に血が出るまで打ち付けて、許しを請うた。
彼らは、邪教を広め、祭礼の費用だといって私腹を肥やしていたのである。
実に痛快である。
宗教の名に値しない淫祠邪教は、今も蔓延っている。
その背景にあるのは、願えば手に入る、信じれば叶うといった非合理な考え方である。
どうして、そのような思考をするのか、僕にはどうしても理解できない。
出典 (明治書院)新釈漢文大系58 『蒙求 下』早川光三郎著 887頁
「西門投巫」 史記、魏文侯時、西門豹爲鄴令。豹到問民所疾苦。長老曰、苦爲河伯娶婦。以故貧。俗語、不爲娶婦、水來漂溺人民。豹曰、至時幸來告。吾亦往送女。至其時、豹往會河上。三老・官屬・豪長者・里父老皆會。其巫老女子。從弟子女十人。皆衣繒單衣、立大巫後。豹呼河伯婦、視之曰、是女不好。煩大巫嫗。爲報河伯。更求好女。使吏卒拘大巫嫗投之河中。有頃曰、何久也。弟子趣之。凡投三弟子。豹曰、巫嫗女子、不能白事。煩三老。爲入白之。復投三老河中。豹簪筆磬折、嚮河立良久。又曰、三老不還。欲使廷掾與豪長者一人入趣之。皆叩頭血流。豹曰、河伯留客之久。若皆罷去。吏民大驚恐、從是不敢復言河伯娶婦。豹即發民鑿十二渠、引河水灌民田。皆得水利、民人足富、豹名聞天下、澤流後世。