当意即妙の受け応えが素晴らしい話である。
魏の文侯が家臣たちと歓談していた時、
「ところで、私は君主としてどうだろう?」
と尋ねた。
あまり良い質問とはいえない。
真の明君ならこんなことは訊ねないだろう。
家臣たちは、本心は別として、次々と、
「君は仁君です」
と答えた。
ところが、翟璜(てきおう)という家臣だけは、
「君は仁君ではありません。中山の国を征服した時、君は弟君にそれを与えず、ご自身の長子に与えました。これからしても、君は仁君ではないでしょう」
と、思ったことを率直に口に出してしまった。
当然、文侯は怒り、翟璜を追い出してしまった。
次に、任座(にんざ)という家臣が答える順番となった。
任座は、
「君は仁君です」
と答えた。
「どうしては、私が仁君だと思うのか」
と文侯が訊くと、任座は、こう答えた。
「君が仁であれば、その家臣は直だと言われています。さきほどの翟璜の意見は、まさしく直です。家臣が直なのですから、当然、わが君は仁ではないでしょうか」
聞きようによっては皮肉だが、こう言われると文侯としては怒る訳にもいかないだろう。
任座の意見を善しとして、翟璜を許し、さらにはその率直さを認めて高位に付けたという。
この文侯の時代に、魏は大いに発展する。
良い意見は良い意見として取り入れる度量の広さがあったからだろう。
やはり、文侯は仁君だったのである。
出典 (明治書院)新釈漢文大系58 『蒙求 上』437頁
翟璜直言
新序曰、魏文侯與士大夫坐。問曰、寡人何如君也。群臣皆曰、君仁君也。次至翟璜。曰、君非仁君也。君伐中山、不以封君之弟、而以封君之長子。臣以此知之。文侯怒逐璜。璜起而出。次至任座。文侯問之。對曰、君仁君也。臣聞其君仁者其臣直。向翟璜之言直、是以知也。文侯曰、善。召翟璜入、拜爲上卿。
新序に曰く、魏の文侯、士大夫と坐す。問うて曰く、寡人は何如(いか)なる君ぞや、と。
群臣皆曰く、君は仁君なり、と。
次いで翟璜(てきわう)に至る。曰く、君は仁君に非ず。君、中山を伐ち、以て君の弟を封ぜず、以て君の長子を封ず。臣、此を以て之を知る、と。
文侯怒りて璜を逐(お)ふ。璜、起ちて出づ。
次いで任座(にんざ)に至る。文侯、之に問ふ。對へて曰く、君は仁君なり。臣聞く、其の君、仁なる者は其の臣直なり、と。向(さき)に翟璜の言直なり、是(ここ)を以て知る、と。 文侯曰く、善し、と。翟璜を召し入れ、拜(はい)して上卿と爲す。