『荘子』結果とプロセス

下男と下女が二人で羊の世話をしていた。ところが羊がいなくなってしまった。

下男に、何をしていたのかと問うと、一生懸命勉強していたと言う。

下女に、何をしていたのかと問うと、バクチをして遊んでいたと言う。

下男は良いことをしており、下女は悪いことをしていたが、羊を逃がしたという、その結果は同じである。

結果が同じであれば、プロセスに関係なく評価すべきであろうか。

それとも、やはりプロセスが重要なのだろうか。

重要としたならば、どの程度、重要なのだろう。

結果が同じなのに、プロセスが違うからといって低い評価を与えられた場合、人は納得するのだろうか。

反対に、結果が同じだからという理由で、頑張っている人間を低く評価した場合、その人は納得するのだろうか。

出典 (明治書院)新釈漢文大系8『荘子 下』315頁

外篇 駢拇(へんぼ)第八

臧與穀二人相與牧羊、而倶亡其羊。問臧奚事、則挾筴讀書。問穀奚事、則博塞以遊。二人事業不同、其於亡羊、均也。

臧(ざう)と穀(こく)と二人相與(とも)に羊を牧して、倶(とも)に其の羊を亡へり。

臧に奚(なに)をか事とせしと問へば、則ち筴(さく)を挾(さしはさ)みて書を讀めり。

穀に奚をか事とせしと問へば、則ち博塞(はくさい)して以て遊べり。 二人は事業同じからざるも、其の羊を亡ふに於けるや、均(ひと)し。