自分の影を畏れ、足跡を嫌がって、これから離れようとした者がいた。
ところが、一生懸命足を持ち上げれば持ち上げるほど足跡は多くなり、どんなに早く走っても影は離れなかった。
その者は、これはまだ走り方が遅いのだと考えた。
そこで、さらにさらにと早く走り、ついには力尽きて死んでしまった。
陰にいれば影は消え、動かずに静かにしていれば足跡は残らないことを知らなかったのである。
これこそ、愚の骨頂ではないか。
『荘子』の寓話の一つである。
幸せを求めながら、かえって幸せを失っている現代の日本人に当てはまるような気がする。
出典 (明治書院)新釈漢文大系 『荘子 下』 777頁
雑篇 漁父第三十一
人有畏影惡迹、而去之走者。擧足愈數、而迹愈多、走愈疾、而影不離身。自以爲尚遲。疾走不休、絶力而死。不知處陰以休影、處靜以息迹。愚亦甚矣。
人、影を畏れ迹(あと)を惡(にく)みて、之を去(す)てて走る者あり。
足を擧ぐること愈(いよいよ)數(しばしば)にして、迹は愈(いよいよ)多く、走ること愈(いよいよ)疾くして、影は身を離れず。
自ら以爲(おも)へらく尚ほ遲しと。疾く走りて休(や)まず、力を絶ちて死す。
陰に處りて以て影を休め、靜に處りて以て迹を息(や)むるを知らず。 愚も亦甚だし。