『左伝』物言えば唇寒し

陳轅頗出奔鄭(哀公十一年)

陳の轅頗(えんぱ)、鄭(てい)に出奔す

轅頗という人は、国人に税を割り付け、陳の公女の結婚資金にした。

そこまでは良かったのだろうが、その金が余ったので、自分用に大きな銅器を作ってしまった。

国人は、この横領を憎み、轅頗を追放した。

取るものも取り敢えずに逃げる途中、喉が渇いた。

すると、一族の一人である轅咺(えんけん)が、濁り酒、乾米、乾肉をそろえて進めた。

轅頗は、喜ぶと同時に驚いて、

「何故、こんなに揃っているのか」

と、轅咺に尋ねた。

「あなたが銅器を作った時、こんなことになるのではと思い、準備をしておいたのです」

と、轅咺。

「それが分かっていたなら、あの時、何故、私を諌めてはくれなかったか」

と、轅頗。

咎める口調の轅頗に対し、轅咺は、言った。

「もし、諌めていたら、あなたの怒りに触れて、私の方が先に追放されたでしょう」

部下というものは、上司を良く見ているということだろう。

いい提案が上がってこないのは、部下の所為ではなく、上司自身の問題である場合が、多いということである。

以前も紹介したが、

上司「うちにはイエスマンばかり多くて困ったもんだ」

部下「お言葉ですが・・・・」

上司「うるさい!口答えするな!」 このジョークと似たようなことが、数千年前から、あらゆるところで繰り返されてきたのだろう。

出典 (明治書院)新釈漢文大系33 『春秋左氏伝 四』鎌田正著 1799頁

哀公十一年

夏、陳轅頗出奔鄭。初、轅頗爲司徒、賦封田、以嫁公女、有餘、以爲己大器。國人逐之。故出。道渴。其族轅咺進稻醴・粱糗・段脯焉。喜曰、何其給也。對曰、器成而具。曰、何不吾諫。對曰、懼先行。

夏、陳の轅頗、鄭に出奔す。

初、轅頗、司徒と爲り、封田に賦して、以て公女を嫁がしめて餘有り、以て己が大器を爲(つく)る。

國人、之を逐ふ。故に出づ。道にて渴く。

其の族轅咺、稻醴(たうれい)・粱糗(りやうきう)・段脯(たんほ)を進む。

喜びて曰く、何ぞ其れ給せる、と。對へて曰く、器、成りて具(そな)へたり、と。

曰く、何ぞ吾を諫めざる、と。對へて曰く、先ず行(さ)らんことを懼(おそ)れてなり、と。