仁之勝不仁、猶水勝火(告子章句上)
仁というものが不仁に勝つことは、水で火が消えるように当然のことである。
孟子は、その内容もさることながら、文章と論理、喩えが素晴らしい。
この一節の論理も、極めて巧みである。
「仁は不仁に勝つ」といった時、心の奥底で、世間の人は疑っているであろう。
人に親切にしたからといって、世間に愛を以って臨んだからといって、本当に幸せになるのであろうか。
かえって、不実、不仁の人の方が成功しているのが、世の中ではないか、と。
僕などは、この典型である。
仁が立派なことであるとは思っているが、不仁に勝てるかと言われると、疑問を持っている。
そもそも、勝ち負けとは違う話ではないか、などと思ったりもする。
孟子は儒学の亜聖であり、儒学は世の中を良くすることが目的である。
仁に力が無ければ、世を変革することはできない。
仁者は無敵であるというのが、孟子の思想である。
だから、こういう論理・喩えを行なうのであろう、などと斜に構えたくもなってくる。
「しかし」と孟子は言う。
水が火に勝つとはいっても、たかだかコップ一杯の水で、車一杯に積んだ薪の火事を消すことはできない。
これと同じように、仁は不仁に勝つ力を持っている。ただ、少しばかりの仁で、大きな不仁に打ち勝つことは、やはりできない。
しかし、だからといって、不仁の方が強いということにはならないであろう、と
ところが、多くの人は少しばかりの仁を行い、仁なんて役に立たないと批判している。
これでは、その少しの仁さえ、無くなってしまうだろう、と。
こう説かれると、実に耳に痛い話である。