『孔子家語』人というものの恐ろしさ

人は、素晴らしくもあれば恐ろしくもある。

ある会社の営業課長と話をした時のことである。

その課長は、絶対に目標の100%を達成しないと言うのである。

出来ないからではない。

出来てもしないと言う。

何故なら、100%を達成して、自分の上司である部長の評価が高まることが、許せないのだという。

そんなことをしていたら、自分も損するではないかと問うと、

「たとえ、自分が損をしても、あの部長が褒められることだけは嫌だ」

と、断言した。

ドイツの格言に謂う。

「あなたにとって友としてはなんの役にも立たぬ者も、敵にまわせばあなたに害をなす者となるやもしれぬ」

子貢が孔子に民を治めるやり方を訊いた。

孔子は、

「畏れ慎み、腐った縄で暴れる馬を御するようにせよ」

と教えた。

何故、そこまでにと、子貢が改めて訊くと、孔子は、こう答えた。

「人は感情を持った生き物であり、尊重して扱えば家畜のようにおとなしくなり、こちらの言うことをきいてくれる。しかし、下に見て扱えば仇となる。どんなに畏れ慎んでも、し過ぎるということはない」

出典 (明治書院)新釈漢文大系53 『孔子家語』宇野精一著 112頁

観思第八

子貢問治民於孔子。子曰、凛凛焉、若持腐索御扞馬。子貢曰、何其畏也。孔子曰、夫通達之屬皆人也。以道導之、則吾畜也。不以道導之、則讎也。如之何其無畏也。

子貢、民を治むるを孔子に問ふ。

子曰く、凛凛(りんりん)たること、腐ちたる索(なは)を持して扞馬を御するが若くす、と。

子貢曰く、何ぞ其れ畏るるや、と。 孔子曰く、夫れ通達の屬(ぞく)皆(みな)人なり。道を以て之を導かば、則ち吾が畜(きう)なり。道を以て之を導かざれば、則ち讎なり。之を如何(いかん)ぞ其れ畏るる無からんや、と。