『列子』自然の凄さ

好きな話の一つである。

玉(翡翠、ヒスイのことらしい)を細工して、楮(こうぞ)の葉を作る人がいた。

三年を費やして完成すると、細かな毛や微妙な形まで本物そっくりで、実際の楮の葉の中に混じると、見分けがつかなかった、という。

この人は、ついにその匠の技で、宋の国に雇用された。

この話を聞いた列子は、

「葉を一枚作るのに三年かかるようでは、世の中の樹木には、ほとんど葉が無いことになるだろう」

と述べた。

つまり、人智やその技は、どこまでいっても自然の力には及ばないという話である。

確かに、そう思う。

東北を襲った津波などを考えても、自然に対しては、「想定外」が常に「想定内」なのである。

出典(明治書院)新釈漢文大系22『列子』小林信明著 366頁

説符第八 第六章

宋人有爲其君以玉爲楮葉者、三年而成。鋒殺・莖柯・毫芒繁澤、亂之楮葉中、而不可別也。此人遂以巧食宋國。子列子聞之曰、使天地之生物、三年而成一葉、則物之有葉者寡矣。故聖人恃道化、而不恃智巧。

宋人に其の君の爲に玉を以て楮葉(ちょよう、こうぞの葉)を爲(つく)る者有り、三年にして成る。

鋒殺(ほうさい、葉の形)・莖柯(けいか、くきとえだ)・毫芒(ごうぼう、細毛や‘のぎ’、とげ)繁澤(はんたく、手がこんでいること)にして、之を楮葉(ちょよう)中に亂(みだ)すに、別つ可(べ)からず。

此の人、遂に巧を以て宋國に食(は)む。

子列子、之を聞いて曰く、天地の生物をして、三年にして一葉を成さしめば、則ち物の葉有る者(こと)寡(すくな)し。 故に聖人は道化(どうか)を恃(たの)んで、智巧(ちこう)を恃まず、と。