子貢「先生、勉強ばかりで少々疲れてきました。しばらく休みたいのですが・・」
孔子「生きている間、休むなどということは出来ない」
子貢「それでは、私はいつまでたっても休めないのですか?」
孔子「休めるよ。あの墓を見てごらん。死んで墓に入れば休むことが出来る」
子貢「・・・なるほど。死とは偉大なことだったんですね。君子にとっては休息であり、小人にとっては苦しみからの解放なんですね」
孔子「分かったようだね。人は生きる楽しみは知っているが、生きる苦しみを知らない。老いることによる衰えは知っているが、年取ることの気楽さを知らない。死を憎むだけで、死が安らぎであることを知らないのだ」
死んで、天国や極楽、はたまた地獄や輪廻、などと言われるよりも、僕には、この考え方の方が、ずっと納得できる。
出典 (明治書院)新釈漢文大系22 『列子』小林信明著 41頁
天瑞第一 第九章
子貢倦於學。告仲尼曰、願有所息。仲尼曰、生無所息。子貢曰、然則、賜息無所乎。仲尼曰、有焉耳。望其壙、睪如也、宰如也、墳如也、鬲如也。則知所息矣。子貢曰、大哉死乎。君子息焉、小人伏焉。仲尼曰、賜、汝知之矣。人胥知生之樂、未知生之苦。知老之憊、未知老之佚。知死之惡、未知死之息也。
子貢、學に倦(う)む。仲尼(ちゆじ)に告げて曰く、願はくは息(いこ)ふ所有らん。
仲尼曰く、生に息ふ所無し、と。
子貢曰く、然(しか)らば則ち、賜(し、子貢の名前)は息ふ所無きか。
仲尼曰く、有り。其の壙(くわう、墓穴)を望むに、睪如(かうじょ)たり、宰如(さいじょ)たり、墳如(ふんじょ)たり、鬲如(れきじょ)たり。則ち息ふ所を知る、と。
子貢曰く、大なるかな死や。君子は息ひ、小人は伏す、と。 仲尼曰く、賜(し)や、汝、之を知れり。人は胥(みな)生の樂しみを知るも、未だ生の苦しみを知らず。老の憊(つか)れたるを知るも、老の佚(いつ)を知らず。死を惡(にく)むを知るも、未だ死の息ひを知らず。