虎の巻という言葉がある。
これさえあれば大丈夫という秘訣のことである。
この言葉のもとは、六韜(りくとう)という中国の兵書である。
韜という字は滅多に見ない字である。「韜晦(とうかい)する」(自分の才能などを隠し、姿をくらます)といったくらいであろう。
元々は、弓や刀をしまうなめし皮で作った容れ物のことであり、そこから「つつむ」「かくす」という意味が生まれた。
つまり、六韜とは六つの戦いに役立つ容れ物であり、その六つとは、「文、武、竜、虎、豹、犬」である。
この中の虎韜には、兵法の極意が極めて具体的に述べられている。これさえ習得すれば、百戦百勝だということで、虎の巻という言葉が生まれたとされている。
ただ、現代人である私たちには、虎韜はほとんど役に立たない。
例えば、虎韜の最初には、戦いにおいて必要な兵器がどうあるべきかを述べている。戦車はどうあるべきか、強弩はどうあるべきか、戦車の車輪の大きさはどの位が適当かといった話である。
しかし、具体的な戦術以外の部分は、マネジメントを考える上で役に立つことが多い。
元々、六韜は、以前にも紹介した太公望呂尚の書とされてきた。
呂尚は、商を滅ぼして周を建国した文王・武王の師とされた人物であり、組織の運営とはどうあるべきかについて、六韜は実に示唆に富んでいる。
そこで、近代マネジメントと六韜を絡めながら、マネジメントとはどうあるべきかを考えてみたい。
マネジメントとは何か、これを定義することは諸説あって難しい。
しかし、何のためにマネジメントを行なうかといえば、組織の目標を達成するためであるということで、納得は得られるであろう。
組織の目標を達成するための一連の営みが、マネジメントサイクルといわれるものである。
「計画→組織化→指令→統制」という流れは、1916年にフランス人のアンリ・フィヨール(Henri Feyol)が[産業および一般の管理]として発表した著書に述べられている。
100年も前の理論であるが、今でも変わらず大切にされている考えである。
しかし、マネジメントサイクル通りにマネジメントを行なえばうまくいくかといえば、そうでもない。
何よりも大事なことは、前提としての目標の統合である。
アメリカのR・ブレイクとJ・ムートンは、マネジリアルグリッド理論を提唱し、その中において、理想的なマネジャーは「人間関係と業績の両方を追求する」と延べ、そういったマネジャーの特長として、部下との目標統合を重視しているとしている。
マネジメントサイクルに則ってマネジメントを行なうことと、目標統合を行なうこと、当然、どちらも大事である。
しかし、様々な企業のマネジメントの現場を見たとき、目標統合を重視するケースは少ないようである。
多くの場合、目標は上から与えられるもの、つまりはノルマであり、統合する努力は放棄されている。
昨今、モチベーション(動機づけ)に対する関心が高いが、部下をモチベートする根本的な方策は、目標の魅力を訴えることであろう。
マネジャーは、「部下に組織の目標を売り込むセールスマン」でなければならない。
売り込むためには、目標自体に魅力が必要である。本来、魅力がない目標を言葉巧みに部下に売り込むのは詐欺である。
六韜では、
「天下は一人の天下にあらず」
という言葉が、文韜で一回、武韜で二回、計三回も出てくる。
具体的な戦術を除けば、六韜において最も訴えたいことが、このことなのであろう。
文王の、どうすれば天下を得ることができるのかという問いに対し、太公望は、
「天下は一人の天下にあらず。すなわち天下の天下なり。天下の利を同じくする者は、すなわち天下を得、天下の利をほしいままにする者は、すなわち天下を失う」
と答えている。
また、武韜においては、
「天下を取る者は、野獣を逐うがごとし。天下、皆、肉を分かつの心あり、舟をおなじくしてわたるごとし。わたらばすなわち、皆、その利を同じくし、敗ればすなわち、皆、その害を同じくす」
とも述べている。
天下を企業と読み替えるならば、企業を成り立たせている顧客、株主、取引先、地域社会、社員という五つの存在に対して利益を与える企業が、発展・成長するということだろう。
これは一時期流行ったステークホルダーという考え方である。
これをみても、人や組織に関する理論は、名前が変わるだけで3000年間変化はないと、私は思ってしまう。
話をもう少し狭めて、組織におけるマネジメント・目標ということを考えると、社員に利益を与える企業が、成長・発展するということになる。
そこで、私は思うのであるが、企業がその目標を設定する時、こういった目標であれば社員が喜ぶだろうという観点を持つことはあるのだろうか。
ほとんど、ないのではないだろうか。
六韜的に考えるならば、目標は企業という法人と共に、そこに働く社員の幸福を目指したものでなければならない。
ところが、企業を生き延びさせるために社員を犠牲にするケースは後を絶たない。そういった企業は、結局のところ、社員の幸福を目指していないのであろう。
もちろん、社員一人一人を同じ船に乗る同志であり、運命共同体であるという考えを持っている企業も、まだまだ存在している。
しかし、確実にその数は減っているような気がする。
今や、企業は社員のことを考えず、社員は企業のことを考えていないという寒々とした風景が、広がりつつある。
どんな最新のマネジメント理論を適用しても、このような状況で企業がうまくいくとは思えない。
「天下を害する者は、天下、これを閉ず。天下を殺す者は、天下、これを賊とす。天下を窮する者は、天下、これを仇(あだ)とす。天下を危うくする者は、天下、これを災いとす」 なのである。