兵法に関する書は、何故か老荘の影響がある。
戦いという生死を分けるの状況の中、これが正しいという方法を言い切ることの難しさがあるのだろう。
そしてそこには、良賈は深く蔵して虚なるが如くといった、逆説的な思想が垣間見られる。リーダー像も、同じである。
以前にも紹介したように、「天下は一人の天下にあらず」といった信念が、天下をその人にもたらすと考えるのである。
こういった思想は孔子にもある。
孔子は、最高の賢者として、管仲を推挙した鮑叔と、子産を常に支持した子皮の二人を挙げている。
いうまでもなく、管仲は斉の桓公を輔けて覇者にした人物であり、子産は小国である鄭を破滅の危機から救った人物である。
しかし、孔子に言わせると、賢者とは自らが功業をなすのではなく、功業をなす者を推挙し支持する人物だというのである。
項羽と劉邦、曹操と劉備も、同じである。
個人的力量においては、圧倒的に項羽であり曹操である。しかし、劉邦・劉備の方を高く評価するのが、東洋の思想である。
六韜では、「礼将」「力将」「止欲の将」という三つのことが大事だと述べている。
「礼将」とは、寒暑を部下と共にするリーダーである。自分だけが暖かい格好や涼しい格好をしない。
「力将」とは、労苦を部下と共にするリーダーである。険しい路をゆくときなど、自ら馬を下りて率先して進む。
「止欲の将」とは、我慢を部下と共にするリーダーである。部下より先に休んだり食事をとったりしない。
こういった将であれば、部下はその指令に従い、生命を顧みず戦うという。
一度でも部下を持ったことがある人であれば分かると思うが、こちらの指示命令通りに部下は動くものではない。
指示したことの半分でもやってくれれば、大したものである。
そこで、多くの人が思うには、もっと権限があれば、ということである。
しかし、権限で動かそうと思えば、面従腹背の危険性が常につきまとう。
部下との人間関係が良好であれば動くのではと、思う人もいる。
しかし、全ての部下と同じレベルで人間関係を築くことは難しく、そこには依怙贔屓の危険性が常につきまとう。
こういった問題に対応するために、近代マネジメントでは、様々なモチベーション理論、コーチング、カウンセリングといった技法を提唱している。
一言でいえば、どうすれば部下を動かすことができるか、部下をその気にさせることができるか、ということである。
極めて真っ当な問題のたて方ではある。
しかし、浅いといえば浅い。最初に述べたように、東洋では物事をこのように単純には捉えない。
部下をその気にさせて動かしたいのであれば、自分自身を変えなさいというのである。
「この人」の指示命令であれば従おうという、「この人」になりなさいというのである。
確かに思う。
人という複雑な存在は、単なるノウハウで動かせるものではないだろう。
人格・品性こそが最も大事である。 そして、この考え方は、前回紹介したドラッカーとも、相通じる考え方でもある。 ction(e,t,n){