選挙から一週間が経った。
テレビで自民党の戦い方を見ると、相変わらず「情」に訴える戦術が多いようである。
土下座をしている姿も、多く見られた。
かつては、この戦術も功を奏したかもしれないが、今は難しいのではないか。
国民は、それほど愚かではなくなってきている。
三国の魏の時代に、許允(きょいん)という人がいた。
この人の奥さんが有名である。
「奇(はなは)だ醜(みにく)し」と書かれている位で、滅多にいない不細工であった。
しかし、また、滅多にいない程、賢かったという。
許允は、結婚はしたものの、奥さんの部屋へ行こうともしなかった。
ある人の説得で、渋々と部屋へ向ったが、顔を見た途端、引き返そうとした。
奥さんは、裾を捉えて引き留めた。
許允は、気分を害したのであろう。
「女性には四つの徳があるとされているが、お前にはいくつある」と問うた。
すると、
「私に欠けているのは、容姿だけです」と応じ、
「男性には、大事な行いが百あるとされていますが、あなたは如何ですか」
と問い返してきた。
「私には全てある」と許允は答えた。
それを聞いた奥さんは、
「行いにおいて一番は徳です。あなたは色を好んで徳を好んではいません。どうして全て備わっているといえるのでしょう」
と反論した。
これを聞いた許允は、妻の賢さに感じ入り自らを恥じて、以後はお互いに尊重するようになった、という。
何故、そこまで許允が感じ入ったかというと、奥さんの答が、『論語』に裏打ちされたものだからである。
『論語』の子罕篇には、
「吾は未だ徳を好むこと、色を好むが如き者を見ず」、とある。
(女好きは沢山いるが、人格を磨こうとする人間はいない)
聖人である孔子を引き合いに出されては、許允も返す言葉に窮するしかなかった訳である。
この許允が、人事担当の仕事に就いた。
その採用の仕方に不正があるのではという疑惑が生じて、近衛兵に逮捕されてしまった。
皇帝の下へと連行される許允に対し、奥さんは言った。
「明主は、理を以て奪う可きも、情を以ては求め難し」
つまり、相手が賢い人の場合、きちんとした論理を述べれば納得してくる。しかし、情に訴えてもうまくはいきません、と。
許允は妻の忠告に従い、堂々と自分の考えを皇帝に述べ、その疑いは晴れた。
国民全体が明主であるとまでは思わないが、少なくとも、「情」だけで投票を行なうほど暗愚ではなくなってきている。
特に、土下座などということは、30年前の売れない営業マンの手法である。
このような方法で人の心が動くと思っているとするならば、時代錯誤も甚だしい。
情に訴えれば当選すると思っているのであれば、それ自体が、国民を馬鹿にしているということに、気づかなければならない。 気づかない人は、次の選挙でも当選は難しいのではないかと、放映される落選した自民党議員の戦い振りを見て、そう思った。 ty62 \lsdloc