中国に仏教が伝来したのは、後漢の時代だといわれている。
そして、戦乱の多かった魏晋南北朝時代に、救済を求める人々の心を捉え、大いに広まったという。
粱の武帝は、何度も寺に奴隷として仕え、皇帝を買い戻すために、国は多額の寄進を行なった、とされている。
酷いのは南斉の明帝という皇帝である。
熱心な仏教信者ではあったが、その反面、権力争いで多くの同族を殺害した。
明帝が涕を流し焼香した日には、誰かが殺されたという。
話は変わって、東晋の時代、何充(かじゅう)という人がいた。
ある時、瓦官寺(がかんじ)という大寺に参拝し、熱心に祈っていたという。
それを見た友人の阮裕(げんゆう)が、
「君の志と勇気は、時空を超えている」
と、声をかけた。
卿志大宇宙、勇邁終古。(拝調)
卿が志は宇宙より大に、勇は終古(しゅうこ)を邁(こ)えたり
何充は真面目なタイプであるから、喜んで、
「今日はどうして私を誉めるのか」
と、聞き返した。
阮裕は、何充に向って、こう言った。
「僕は、せいぜい数千戸の郡の長官になりたいと思っているが、まだ、果たせない。それなのに君は、仏になろうとしている。なんとも雄大ではないか」、と。
僕は、この話が何とも言えず好きである。
阮裕という人の、ユーモアある人となりにも魅力を感じる。
後の話であるが、阮裕は立派な車を持ち、貸してくれと頼まれると断ったことが無かったという。
ところが、ある人が、母親の葬式に阮裕の車を借りたいと思ったが、気兼ねして言い出せなかった。
それを聞いた阮裕は、人が遠慮して借りてくれないようであれば、持っていても仕方がないとして、車を焼いてしまったという。
話を戻すと、阮裕が言ったように、何充の志は雄大かもしれない。
しかし、私たち日本人からすれば、大したことはない。
日本人は、死ぬだけで仏になるというのであるから、凄いものである。
生きているときは、きっと、神にも等しい存在であろう。